まち活マガジン 2020年5月号(No.12)
 特集 : 荒廃した竹林を、宝の山に変える「住み良いまちづくり研究所」
 我孫子の小さな旅 : 第1回 東我孫子周辺
 あびこのおいしいみーつけた : 食とトークで心身修復!我孫子の「おとな食堂」CAFE DOCK
 つなぐひと : こんな時代の市民活動の重要性

Contents.

荒廃した竹林を、宝の山に変える。
NPO法人 住み良いまちづくり研究所
あびこのおいしいみーつけた!
食とトークで心身修復!我孫子の「おとな食堂」CAFE DOCK
越岡禮子と行く、我孫子の小さな旅
第1回 東我孫子駅周辺

  

 

 

 

 

 

 

 

荒廃した竹林を、宝の山に変える。

竹林と聞くと、青竹の清清しい景色が思い浮かぶ。
春の恵のタケノコを手に入れることのできる場所。
しかし人手が入らない竹林は、環境破壊の危険をはらむ。
竹林を地域の資源として活かすには、額に汗して働く必要がある。
その労力や手間を厭わず、竹林を宝の山とみて、日々取り組む人たちの姿は
胸にポっとあかりを灯してくれる。

写真提供:NPO法人住み良いまちづくり研究所

 我孫子の心を、竹の芸術に込める。

NPO法人 住み良いまちづくり研究所
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設  立 2004 年1月
会  員 53名
活動内容 竹林整備・竹灯ろう作り・地域防災
     イベントの開催など
お問合せ 090-6503-2084(代表:米澤)

 
 
 

 NPO法人住み良いまちづくり研究所は、竹林を整備することで我孫子の環境を守り次世代に残そうと活動している。伐採した竹で芸術的な灯ろうを作り、我孫子に「竹宵」(竹によるライトアップイベント)を広めようとしている。米澤外喜夫代表に、これまでの活動経緯と灯ろう作りに込めた思いを聞いた。
Q. 竹林整備に関わるようになったきっかけを教えてください。
 我孫子市に住んで25年になりますが、我孫子型「地産地消」推進協議会に関わったことから、荒廃した竹林が多いことを知り危機感を持っていました。かっぱまつりがご縁で、住み良いまちづくり研究所前代表の浜崎さんと知り合って、大分県臼杵市の竹によるまちおこし「うすき竹宵」を教えられました。見学に行ったところ、街中を竹ぼんぼりで飾る壮麗な美しさに感動して、ぜひこういったことを我孫子でもやりたいと入会して竹林整備を始めました。
Q.岡発戸にある滝前不動を整備するようになった経緯について教えてください。
 滝前不動の近くに援農に行く度に、荒れた様子が目について気になっていました。滝前不動は白泉寺の末寺で、新四国相馬霊場の36番札所という歴史のある場所なので、文化遺産をこのままにしておくのはもったいないとも思いました。会員も賛成してくれたので、氏子総代の所に何度も通ってお願いし、理解を得ることができました。最初はジャングルのようだったので、昔から滝前不動の近くに住んでいる農家の記憶を頼りに、社の前の広場を整備したり、隠れていた道案内の石を発見しながら鎌倉
時代の古道を復元したり、志賀直哉の小説『矢島柳堂』に出てくる藤棚を復活させました。整備しながら興味深い発見をして、それを仲間で語り合って楽しみました。
Q.滝前不動の整備にはずいぶんと時間をかけたようですね。
 2015 年10月から始めて6 年目になりますが、週3回は活動日を設け、その他にも空き時間を見つけては個人で作業しました。なにせ35年間も手が入っていない竹林だったので、整備には時間がかかりました。ようやく公開できるくらい整備が進んだので、2018年にリーフレットを作っていろいろな所に配布しました。春には市内の子ども達が来て竹の子掘りをしたり、夏には子どもイベントも行っています。去年末には、竹林の幻想的な雰囲気の中で灯ろうのイベントをやりたい、という会員の総意で「滝前不動新春竹宵の集い」を開き、灯ろうで竹林をライトアップしたり、コンサートをやり200 人を超える人に来てもらいました。
Q.市民のチカラまつりも、竹灯ろうのライトアップで雰囲気を盛り上げていただきありがとうございました。灯ろう制作はいつから始めたのですか。
 私が入会した2014 年に、世界環境デーの一環として行いました。電灯を消して、環境について考えようということで、竹灯ろうの中にろうそくを入れてけやき広場に灯しました。最初の年は市販のろうそくでしたが、翌年からは小学校で廃油ろうそくを作ってもらいましたが、その後、防災上の理由でLEDの照明に換えました。
Q.廃材の有効利用であるだけでなく、芸術性の高い灯ろう作りを目指しているそうですね
 最初にお話した臼杵市の竹宵の印象と感動が強く残っているためです。臼杵は人口4万人くらいの小さな市ですが、お寺と神社が30くらいあり、企業、大学がお寺と一緒になって竹灯ろうを作り競っていました。「すごいものがある」と感動して、これを我孫子でもやりたいと思いました。その後、竹でまちおこしをしている別の所を見学したり、岐阜の竹工房に行ったりして刺激を受けて、我孫子の独創性を出したいと思うようになりました。
Q.その他に整備している竹林はありますか。
 久寺家と布施土谷津地区の竹林も整備しています。布施は県の森林ボランティアがやっていた後を引き継ぎ、遊歩道を整備しています。

親子でタケノコ掘りを楽しむ
滝前不動での竹宵

Q.3.11鎮魂竹宵の集いを始めた経緯を教えてください。
 揺れがきた時は、久寺家の竹林で作業している最中でした。被災した人達に対して自分達にも何かできないかと考え、竹で400本ほどの募金箱を作り、キャンドル募金を始めました。市内の歯科医院や飲食店に置かせてもらって、1ヶ月で150万円近くの募金を集めることができましたので、それを赤十字と布佐に寄付しました。次の年には、地元の音楽グループ「A-Link」の宮内さんや、東日本大震災をきっかけに結成された合唱団「アンサンブル ルミエール」の指揮者の青井さんに相談して、歌・バザー・竹宵の3つで支援イベントをすることになりました。
 当時、我孫子市消防団長だった飯田さんが陸前高田を支援していたことから、毎年50~60万円の寄付金を陸前高田の学校に寄付してきました。鎮魂竹宵の第5回目まではそんな形で行い、第6 回目以降は地域防災の視点も入れ、現在に至ります。9回目の今年は、新型コロナウイルスの影響で中止としましたが、来年の10回目はぜひ実施したいと思います。
Q.4月からは、我孫子市の公募事業補助金も受ける予定ですが、今後の事業の展開について教えてください。
 新規事業の一つとして、会員の拡充を図るために定期的な灯ろう作り教室を開催したいと考えています。かっぱまつりの時などに、竹教室で作られた作品を展示するようにして、事業と事業をつながるようにやっていきたいです。会の周知のために力を入れたいのは、ホームページとリーフレットの作成です。
 去年から試みている竹炭作りは、集中豪雨のために炭焼き場所が水没しましたが、場所を確保して再開したいと思います。
Q.活動の中で大事にしたいのは、どんな点でしょうか。
 男性は人生の7~8割を仕事が占めるという人が多いので、定年者がひきこもらないような居場所作りが、会の一番大切なテーマです。会員の中には、竹林整備が好きな人、竹炭を焼きたい人、オブジェ作りや木工が好きな人、オブジェのしつらえ方を考えるのが好きな人などがいて、各人の好みにそって居場所があります。今後もし私達の活動に興味を感じていただけるなら、活動全体に関わろうと思わず、いくつかのカテゴリーの中で自分のやりたいことを見つけていただければと思います。シニアだけではなく、もちろん若い人や女性の参加も大歓迎です。若者にとっては、いろいろな経験を持つ人と知り合い、地域社会の人間構成を知ることができます。

 3.11 鎮魂竹宵のつどい、かっぱまつり、市民のチカラまつりなど、様々な機会に住み良いまちづくり研究所の竹灯ろうがまちを美しく飾っている。気がつけば、我孫子駅前の飲食店の店先にも。集中豪雨や新しい感染症の拡大など、人心を不安に駆り立てる予想外の出来事が起こる時、竹灯ろうの明かりはいつもと変わらず人をなごませてくれる。竹を廃材にせずに有効活用したいという会の目的は、着々と実現されつつある。

  

食とトークで心身修復!  

  我孫子の「おとな食堂」

■CAFE DOCK
営業時間:11:30 ~ 21:00
定休日:日・月曜日
我孫子4-7-13
Tel.04-7139-0968
www.instagram.com/cafe.dock/

 2011年6月、我孫子市つくし野にオープンした「カフェドック」。店名はよく耳にしながらも、なかなか行く機会がなかったが、2020年2月に「あびこショッピングプラザ」前に移転したと聞いて訪れてみた。3階建ての1階がカフェスペース、2階はレンタルスペースになっており、天井が高く開放感のある空間。日替わりのランチプレートには多種類のデリが盛り合わせてあり、味も量も満足感がある。
 オーナーの堀江妙子さん(愛称:たえちゃん)は、高校時代に訪れたイギリスのロンドンパブのような店を目標に、様々な仕事を経てカフェをオープンした。店名のドックとは、船を修理、製造、検査する施設のことで、「皆さんのドックになりたい」という大きな願いを込めて名付けたそうだ。

なだらかなスロープの入口
おしゃれなカフェスペース
ある日のワンプレートランチ。
メイン・副菜3品・サラダ・雑穀米・
スープ・ドリンクで1200 円(税別)
2階レンタルス
ペースではイベ
ントも可能

 食品ロスゼロを目指し、冷蔵庫にある素材を無駄なく調理するため、日替わりランチの内容は1 日の中でも変わっていく。「安くておいしいものは、ちまたに溢れている。でも家ごはんは飽きない」とたえちゃん。お客さんの好みに合わせて味付けやコースの内容を変える心配りが、リピーターを引き付ける。「今までは10人家族のお母さんだったのが、移転して20~30人の寮母になったようなものです」と笑いながら、「お金をもらっておいしいって言われて、こんなにいい仕事はない」と言い切る。きっと、天職なのだろう。
 常連さんから「まるで家にいるみたいにくつろげる」と支持され、0 歳から92 歳までの老若男女に愛される同店は、新しいファンを増やしながら、これまで以上に地域の「おとな食堂」的な、コミュニティの場になっていくはずだ。

食べるライター 片岡 綾
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おいしいものを探して自転車で街を駆け巡る
日々の中、我孫子の食の豊かさに開眼。「食べ
るために生きる」がモットーの40代一児の母。

  

我孫子は歴史と文化が蓄積された街。
史跡や場所の由来を知ると、街歩きを深く楽しむことができます。
人の知らない我孫子を発見し続けている越岡禮子さんが、
おすすめのスポットをシリーズで紹介します。

郷土史家/江戸東京散歩茜会 代表
越岡 禮子

第1回 東我孫子駅周辺

 昭和25年10月に開設された東我孫子駅は、今も首都圏では珍しい無人駅です。
 駅のすぐ近く、東我孫子駅前郵便局の隣に明治9年に千葉県が建てた「一里塚碑」があります。旧成田街道(初期の水戸街道と重なり、現成田街道と少しそれる)沿いに建つ一里塚は3メートルほどの小丘に雑草が覆い、頂きに雑木が数本繁っています。この一里塚は江戸時代初期の水戸街道の面影を残しています。
 駅の湖北寄りにある道を南へ進むと、林由郎、青木功など名プレイヤーを輩出した日本有数の名門ゴルフ場、我孫子ゴルフ倶楽部があります。昭和5 年、当時の染谷正治我孫子町長が、地元に住んでいた国際的に活躍していたジャーナリスト、杉村楚人冠に現在の東我孫子周辺の山林開発を相談したことが開設の切っ掛けでした。当初、9 ホールで開場、翌年18 ホールが完成しました。今も自然豊かな我孫子ゴルフ場ですが、毎年、桜花爛漫の頃、市民観桜会が催され一般に開放されています。
 ゴルフ場脇の道を「岡発戸市民の森」を経て手賀沼方面への坂を下ると、文化年間の創建と伝わる滝不動にでます。緩やかな石段の昇り口にわずかな水を落とす滝があり、滝不動尊の由来となっています。傍らの芭蕉句碑に「清滝や 波にちりこむ 松青葉」と刻まれていますが、実際の来訪はなく、この句は京都で詠まれた句です。志賀直哉の『矢島柳堂』にも白藤の咲く寺として登場します。

 

志賀直哉の小説にちなんで
復元した藤棚。
 

  

 3月に突然学校の休校が決まり、日常の学校生活ができなくなった時、私の住む地域でいち早く動き出したのは、子どもに関わる市民活動団体だった。「自分たちに何ができるか」。日々状況が変わる中で、情報を集め、整理し、今自分たちにできることを探して実行していく。必要なところとつながり、協働していく。市民活動の重要性を改めて感じています。(野際里枝)

まち活マガジン あびこ市民活動ステーション情報紙 No.12 2020年5月号
発行日:2020年5月1日/発行元:あびこ市民活動ステーション 【指定管理者:(株)東京ドームファシティーズ】
デザイン・レイアウト/人を通して障害を識るフリーペーパー「gente」編集長 大澤元貴
 

このページは、「まち活マガジン2020年5月号」を、
ホームページ用にリメイクして載せたものです。
印刷版の画像は、以下からご覧いただけます。

 
 
 

 

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